2022/01/21 大きな過ちに思えるのはなぜなんだ
起きたらわりかししっかりと雪が積もっていた。さすがの大寒、そりゃまあすぐに溶けるのだけど逆にそれが凍って危ない。
朝からどうしょうもなかった次男になにがあったのか昨夕保育園から帰ってきてからすこぶる機嫌が良い。機嫌が良いと食事も着替えも投薬もすべてが順調でこちらも助かる。意のとおりにならない小さな子供にどうしても声を荒らげてしまいがちだがこうして余裕があると減っていくものだ。今が踏ん張り時、そう心の中で唱えずにはいられない。
昼を在宅勤務の妻と食べて土間を片づけていたら保育園から妻に電話があった。あ…なんかこれ…と思った途端、次男が濃厚接触者に該当することになりしばらく保育園を休まねばならないこととなるたけ早く迎えにこいという連絡であった。家族に濃厚接触者が出たときは別になにをしなくても良いのだが(もちろんその人は自宅にこもることになるが)奥ゆかしいのでどうしたものかと慌ただしくなる。とりあえず明日に控えた妻実家での会食は無しになり…いろいろと気を使う。
子供たちにはそんな事情は関係なく明日も明後日もそして自宅待機の終わる来週末までなにをして過ごせば良いのやら。こう書いているのも感染していないのが前提になのだけどなんというかつなわたりである。
綱渡りといえばmost precariousだがそれを知ったのはこの曲ズバリ Most Precarious。
why does it feel like a big mistake?